ガチャリ。
ドアを開けてアトリエに入ってきた女は、男が予想していた女ではなかった。
「何だアンタは。」
男は憮然として問うた。女は不敵に笑って答えた。
「あら、この町に住んでいて私を知らない人がいるなんて。私はフランソワ。この町の領主の娘よ。」
「それは知っている。俺が聞いたのは、何であんたがここにいるんだってことだ。」
「あなたに私をモデルに絵を描いてもらいに来たの。」
「悪いな。今日はもう先約がある。」
エミリアさんの、ですわね。」
「…なぜ知っている。」
「でしたらその『先約』はお流れですわ。いえ、私がその『先約』の主だ、と言った方が正確ね。」
「どういうことだ。」
エミリアさんのご家族が苦しいのはご存知でしょう?私は彼女から、あなたに絵を描かせる権利を譲り受けたのです。こちらがエミリアさんから預かったお手紙ですわ。」
男は女から手紙を受け取った。確かに見紛うかたなくエミリアの字である。男はやおら不機嫌になった。高邁な態度を取る眼前の女に対しても、権利を手放したエミリアにも。
「描けないな。アンタ、モデルにするってのがどういう意味か解ってないだろ。」
「ヌードモデルでしょう。伺ってますわ。」
「そうじゃない!俺はあいつの裸だから描くことにしたんだ。お前なんか知らん。」
「あら、そうは言っても、現にこうして私がその権利を譲り受けてますから。あなたがどうしてもお描きにならないというなら、私はもう一度エミリアさんとお話しをしなくちゃいけませんわね。」
「…クソッ」


(1)男はフランソワの絵を描く義務があるか。
(2)仮に男にフランソワの絵を描く義務が無かった場合、フランソワはエミリアに対しいかなる請求を為しうるか。
(3)仮に男にフランソワの絵を描く義務が無かったにも関わらず男がフランソワの絵を描いた場合の、三者の関係はどうなるか。

(1)について
エミリアのヌードを描く債務は性質上譲渡できない債務であるから、エミリア・フランソワ間の債権譲渡は無効である(不能な契約は無効であるから、男に対抗できないのみならず、当事者間でも無効である。)。
したがって男はフランソワの絵を描く義務を負わない。
ところで、これは余談なんだけども、よく教科書では「肖像画を描く債務」は466条1項ただし書きの性質上譲渡できない債権にあたると説明されているけど、本当にそうなんだろうか。その理由として、債務の内容が全然違ってしまうから、というのだけど、たとえば路傍で1000円の似顔絵描きのような債権が、そんなに人に依存するとは思われなかったりするので、一概に譲渡できないと言えないような気がする。
(2)について
上述の通り、エミリア・フランソワ間でも債権譲渡が無効なのであるから、譲渡契約が具体的にどのようなものであろうと、それによってエミリアが得た利益は法律上の原因がなく、不当利得返還請求できる。エミリアは悪意(704条)かも。
上の問題を考えた時は、有効を前提に瑕疵担保責任的なものを想定してたけど、考えてみたら無効だった罠。
(3)について
まず、エミリアは男に絵を描くよう請求することが考えられる。これに対し男は、フランソワの絵を描いたことが債権の準占有者への弁済(478条)にあたるとの抗弁を主張することが考えられる。
フランソワは準占有者か。同条「債権のの準占有者」とは「取引の観念から見て真実の債権者または受領権者らしい外観を有する者をいう」(潮見214頁)。「準占有」とはいうけれど、205条との関係は微妙らしい。それはさておき、無効な債権譲渡の譲受人が「債権の準占有者」にあたるとされた判例があるらしい。

原審ハ被上告人カ貯米講ナル一種ノ組合ニ属スル債権ヲ其前任講長ニシテ後任講長ノ事務ヲ取扱ヒ居タル五十嵐徳治ヨリ事実上譲受ケ自己ノ為メニスル意思ヲ以テ上告人ト示談契約ヲ遂ケタル旨ヲ判示シタルモノナレハ被上告人ヲ以テ指名債権ヲ事実上譲受ケ自己ノ為メ之ヲ行使スル準占有者ト為シタルコト明白ニシテ適当ナルヲ以テ本論旨ハ理由ナシ
■判決要旨の2
指名債権ヲ事実上他人ヨリ譲受ケ自己ノ為メ之ヲ行使スル者ハ債権ノ準占有者ナリトス
大審院大正7年12月7日判決

この判例の射程を本件に及ぼせば、フランソワは「準占有者」にあたるのかもしれない。しかし、事案の詳細は不明であるが、上記判例はあくまで譲渡可能な債権について債権譲渡が無効だった場合についてのものと考えられる。他方、本件は譲渡できない債権なのだから、本来なら債権の譲受人が生ずるはずがないので、「譲受人」とやらが「準占有者」にあたるということはできないと考える。
なお、仮に「準占有者」に当たるとしても、まさに債務の内容を知る債務者は、譲渡不能について悪意というべきだ。
そうすると、絵を描く債務は消滅していないから、エミリアは男に絵を描くことを請求できる。
フランソワが描いてもらった絵は法律上の原因がなく、男はフランソワに不当利得返還請求できる。
フランソワは、男の請求があるまでは(2)の不当利得返還請求は損害がなく許されないかもしれないが、男から請求されたことで損害が現実化するので、エミリアに(2)の請求をできるようになる、かな。


本件設例にはちょっと不満があって、それは、もともと三角関係だったところ男がエミリアを選んだタイミングでフランソワが妨害してきたというイメージだったんだけど、そうすると冒頭のやりとりがちょっと綺麗にならなかった。ので、あたかも初対面であるかのような自己紹介になってしまっている。