トルコの憲法裁判所は5日、女子大学生が大学構内でスカーフを着用することを認めた憲法改正違憲とする判断を下した。
…(略)…
憲法裁は違憲判断の理由について、国家の性格を「世俗的」と定めた憲法の条文との整合性が取れないためとする声明を発表。世俗勢力の側に立ってきた従来の姿勢を踏襲した。
http://www.asahi.com/international/update/0606/TKY200806060272.html

これは興味深い。
トルコ憲法や本件改正手続について詳しくは知らないけれど、おそらくは適正な憲法改正手続に則って為されたであろう憲法改正が、憲法改正の限界を逸脱しているとして無効とされた話じゃなかろうか。
憲法改正の限界については、さしあたり憲法 第四版378頁以下にあって、限界説が通説とされるらしい(個人的には無限界説もアリかなと思う)。で、まぁ日本の憲法学説に沿って今回のトルコのケースを考えるなら、(平和主義が日本国憲法の基本原理であるのと同じように)国家の世俗性はトルコ憲法の基本原理であって、これに反する憲法改正は許されない、ということになるんだろうと思う。(それなら憲法の条文との整合性という言い方は問題を矮小化している気がするけど。)
前掲書380頁によれば、ドイツ連邦共和国憲法79条やフランス第5共和制憲法89条に憲法改正の限界に関する条文があるらしい。とか。
あるいは日本の話であれば、「国体」を変革せしめた日本国憲法大日本帝国憲法の改正権限を越えており、(形式的には大日本帝国憲法改正手続に則ったが)改憲としては無効だということで八月革命説に繋がってみたりとか。
なんか憲法五十年の展望〈2〉自由と秩序あたりに面白い話があった気がするけど覚えてないや。
8月革命なんかでは政体が実力で入れ替わってるというかなんというかそういう所があるから限界を超えた改正も事実として押し通せるんだけど、今回のトルコのケースは政体自体は旧憲法時から連続しているつもりだから、改正の限界が現実に問題になった、って感じか。
まぁ、とにかく面白そうなネタなので、ちょっと考えてみるかもしれない。
それと、トルコでは野党が提訴していたらしいけど、トルコの裁判所に抽象的審査権があるかは知らないけど、日本では誰がどうやって訴えるんだろうかね。


木曜から学祭が始まってるわけだけど、理学祭の数学科の展示に行ったら「ハノイの塔」のおもちゃがあって、4段,5段をクリアしたわけだけども、「これって何段でもできるんかな?」と呟いたら、現場にいたヒゲのナイスガイが「できますよ」とおっしゃってた。
で、考えてみたわけだけど。
n段の塔をAからCに移すことができるとすると、同じくn段をAからBに移すこともできる。
そこでn+1段の塔を移そうと思ったら、まずn段目までをBに移して(Bにはn段の塔ができる)、n+1段目をCに移し、その上に、Bにあるn段の塔をCに移せば、n+1段の塔を移すことができる。
そんで1段の塔を移すことはできるから、何段でも移すことができる。
よかった、証明できた。数学的帰納法って中学だっけ?高校だったっぽいな。
これ、もうちょっと数学っぽく記述できないかなぁ。