某ちゃんが名前書き忘れというのは某に聞いて知ってたけど、それなら名前が無いのが某ちゃんのだからまぁ良いかと思って印刷したら、もう一人名前内のがいやがりますかそうですか。
どっちがどっちかわかんねぇ。っていうかもう一人は誰だ?
あとzipはちょっとがっかりした。
あと、IEの右クリックメニューにリンクの「対象を印刷」という項目があって、これは便利な機能だと思って印刷してみたら、真っ白いページが出て来てMS死ねと思った。


先日の朝日新聞スポーツ欄にアイシールド21の事が載ってて、思ったよりも巻数が出てる事を知り、久々にジャンプを立読みしてみた。
…もしかして今のジャンプってけっこう面白いんじゃないだろうか。
しかもスポーツ漫画がアメフトに卓球だぜ?
今にして思えばスラムダンクの連載当時にはバスケもマイナースポーツだったよなぁ。キャプテン翼当時のサッカーはどうだったっけ?


http://developer.apple.com/business/macmarket/coda.html @ADC
変なタイトルだなぁと思ったら、"Panic"ってのは会社名だったみたいだ。
Apple謹製のフレームワークや、その他の有名なフレームワークを上手く使う事が開発のコツ、という話。
OgreKit (鬼車のCocoaラッパー)と Sparkle は知ってたけど、 HDCrashReporter と Neon てのは知らんかったなぁ。
いや、見知った名前があったから言及してみただけなんだけどさ。


今更ながらに『伽藍とバザール』の感想文を書くつもりだったのに、また学校に置き忘れて来てしまった。
まぁいいや。適当に書いちゃえ。
まず、私が勘違いしていたことに、『伽藍とバザール』はてっきりオープンソースvsプロプライエタリという論文だと思ってたわけです。たぶん、あれが流行った頃は「オープンソース」が私のような一般人にも広まった最初の時期だったから、まさかOSS界内部の対立の話とは思わなかったのが原因だろうと思います。
実際にはOSS開発モデルとしての)伽藍型とバザール型の対立の話と読むべきですね。たまにプロプライエタリをも批判してますけど。
で、まぁ、バザールモデルはそれが機能すれば凄い力を持っているんだなぁと。バージョンアップでかえって使えなくなったとしても、ユーザーが最新バージョンを使う義務は無いし、次の安定したバージョンが早く出れば良いだけだ、と。ユーザーがバージョンアップするタイミングは、安定したバージョンが出たとき、ではなく、あるバージョンが安定しているという定評が出たとき、になるんだろうなぁというのは余談。
で、『伽藍とバザール』がOSS開発モデル間の対立という理解からは、以下はちょっと話がずれるんですけど。
あのオープンソースないしフリーウェア信奉者のプロプライエタリ批判、というか「ソフトウェアはタダであるべきである」という発想には賛同できない。


理由はいくつかあるんだけど、最大の物は、要するに、「オープンソースはおろかフリーウェアでさえ、誰も六法を作ってくれなかった」ことです。(ここにいう「フリーウェア」は「タダ」の意味。)
「必要は発明の母」と言いますが、母親だけでは子供は生まれません。子種=父=開発者が必要なんです(語感としては男女が逆の気がする)。
プログラマは、自分が必要とするものにおいては父でもあり母でもあるアンドロギュヌスとなり得ますけど、世の中にはプログラマが必要としない物への需要が存在するわけで、そうした女性には夫がいない。
男の欲求を満足させる(つまり開発自体が楽しい)女性であれば名乗り出る男もいるでしょう。でも、世の中には夫には何の魅力も無い女性があるわけで。そこで男を引き付ける手段としての金というのは、とてもフェアで幸せな事じゃなかろうかと。
六法なんて本質的には何の変哲の無い辞書だし、機能改善が無くても少なくとも毎年更新しなきゃいけないし、プログラマにはおよそ魅力は無い。金を払ってでも使いたいという需要はある(実際、商品がある)のに、普通はタダでは誰も作らない。
全ての分野がオープンソース(またはフリーウェア)でカバーされていないという事実が、金の絡まない欲求のみを純粋とする思想の欠陥を示しています。


で、次にくる理由というのは、要するに「オープンソースじゃGIMPはできてもフォトショはできねぇよ」ということです。あるいは「TeXはできてもインデザはできねぇよ」でも良いでしょう。
自分の作りたい物を作るという方針であるが故に、そうしてできるのはせいぜい自分達が嬉しい物に過ぎない。
コードを書けない人間が主導した方が使いやすい物ができる、というのは MS vs Apple の話でもありますが。


あとこれはまた話がズレるんですけど、Geeksですら、多くの人々が望んでいるのはソフトウェア本体その者の変更可能性ではなく拡張可能性ないし応用可能性なのではなかろうか、と。
FxがIE7よりも魅力的であるとすれば、それはFxがオープンソースだからではなく、Fxが拡張可能だから。FxユーザーでFxの内部コード(userChrome.cssとかじゃなくて)を弄っている人なんてのは、聞いた事が無い。(なお、IE6との比較であれば、拡張するまでも無くFxの方が優秀。)
だからマクロが書ければOOoじゃなくてMSOfficeで良いし、秀丸に金を払いもする。


で、要するに、フリー・オープンですべてのものが成功するわけではない。
自分の作った物をOSSとして公開するかどうかはともかく、世界中の全てのソフトウェアが、成功しない場合があるモデルを必ず採用しなければならないという思想は、ソフトウェアの未来をかえって狭めるものです。