re:リチャード・ストールマン講演会 - 科学と非科学の迷宮

大変面白く読ませてもらいました。
以下は私がネタにできる部分のみ取りあげてるのでややシニカルな内容になってますが、それは単に単なる賛辞は記事にならないという理由によるものであって、私がシニカルな感想を抱いたわけではないので悪しからず。

溺れてる人がいて(ry

いわゆる不真正不作違反における救助義務の存否ですな。救助義務があり、救助が可能で、救助が容易なら、殺人罪が成立するという。
もちろん彼の言う「義務」ってのは日常用語における義務だからさておき。一般人は自分の要求を相手に強いるために、義務ではない物に対してみだりに「義務」という言葉を使い過ぎる。という批判は、今回のメインでは無いからさておき。
その他のコメントも含めて、オープンソースコミュニティというのは救助が可能な人々の集まりであることが前提になっている。
Pay me, and we change it. にしても、デベロッパ以外には皮肉にならない。


ちなみに、プログラムの著作物については、自己使用目的なら必要と認められる限度で翻案が認められている(著作権法47条の2)*1。が、ソースコードが公開されていないと翻案も容易ではないわけで、だからこそ「フリーウェア」でなく「オープンソース」でなければならない、ということになろうと思う。


GPLv3のi18nというのは、GPLi18nするのか、GPLv3のソフトのi18nを容易にしようというのか、どっちだろう。たぶん後者の気がする。直感だけど。
具体的にどういう条項として表れてるのか、ヒマな時に見てみよう。


あと、私は全ての(ryのくだりは凄く興味深い。彼がフリーとコピーレフトの間に差を付ける理由は何なのか。例えば《全てのソフトウェアについて、作者は有償|無償・クローズド|オープンを選択できるべきだ》という哲学(現状であり、私の哲学でもある)であれば理解できる。逆に《全て無償・オープンであるべきだ》という哲学についても、理解できる。でも、ストールマンは違う。はてさて。
っていうかそもそもここでは「フリー」を「無償」と解釈してるけど、それで良かったのかどうか。まぁいいけど。


あと、講演する人一人でこれほど受ける印象が違うというのは面白いけど共感できるなぁと。
法学でも、異説のはずなのに納得させられてしまうなんてのがよくあります。
これは説得力の問題。プレゼンにおける感化の力も「説得力」というワードに含めてしまって良い物かどうか。

*1:翻案方法(パッチとか)を広く一般に公開するのはどうなんだろうか。