鬱と見せかけて実は単なる寝不足だったというオチ。
ちゅうか最近、変な時間に目が覚めるんだよなぁ。午前4時とか。お年寄りかよ俺は。


超重大ニュース!
http://hochi.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20070623-OHT1T00051.htm
これはTVを買うしか!…だれかYouTubeにあげてくれるかな?じゃいいや。
それにしてもナイスだ木村カエラ
この記事のはてブページをみてみると、被ブクマ数よりも言及日記の方が数が多い。
前に他の記事でもこういう現象を見かけたんだけども、「ブクマよりも言及日記が多い記事」というのは、どちらかというと非モヒカン族な話題に見られる傾向だと思う。
そこで、これを基準に記事のモヒカン度の認定をムニャムニャもう食べれないよ〜。


偶然にもまさに今日、某ちゃんをPerfume教に入信させるべく自習室にCD&DVDを持ってった。
曰くあ〜ちゃんカワイイとかのっちカワイイとかかしゆかカワイイとか。
で、私は今DVD再生する環境がなくて宝の持ち腐れになってたので某ちゃんのPCを使って再生してもらおう、という作戦だったんだけど、人がいる時間帯に音楽流すわけにもいかず、ほんで私はさくっと早めに帰ったので結局見てない。
明日…いや、明日学校行くかどうかもまだ分からんがや。


今日は他の人の答案読んでた。
某さんよりも某さんの方が驚異的な気がする。結婚して!
なんていうかね、某さんは頭の回る人が陥りやすい罠に陥ってる感じがする。枝葉末節が見えるばかりにかえって森が見えてない感じ。そういう答案だという意味ではなく、そういう理解をしてそうに見える答案。この答案を読む限り、全く脅威を感じないわけで。今後もこの調子だとしたら、たぶん来年の冬頃に伸び悩む時期が来るんじゃないかなぁ。
で、むしろ凄いのは某さんで、完成度はまだ高くないけど、磨けば光る、宝石の原石を思わせる。というわけで今後は一方的に対抗意識を燃やすことにしよう。まぁ別にどっちかが受かればどっちかが落ちるという話ではないからwin-winで行ければ良いけど。


んで、私はどっちかって言うと某さんみたいな罠に陥りがち。
これは頭が回るという意味ではなくて粘着質で神経質という意味。
んで、一度に入力できる情報量には限度があるから、ここでうっかり細部に目が行ってしまうと本質を見失いがちになるので、意識して細部から目を背ける(自覚的に粗雑な議論をする)必要があるんじゃないかとかなんとか。
まして細部がよく見える人は、自分はよく見えてる人だという勘違いをしてしまいやすいので、自分を馬鹿にする努力をした方が良いんじゃないかなぁみたいな。


あと他の人の答案を読んでいて、答案書きとコーディングは似ている気がした。
まず問題解決にはどのような手順で処理をすべきかを考えて、次に各段階でどんな処理が必要かを考える。
必要な処理が既に条文または標準関数として用意されていればそれを用いる。
それらが無い場合には、適切な法的思考またはアルゴリズムで実装することになる。
アルゴリズムは大抵、偉大な先人が既に考えてくれているので、難しいことを自分で考えようとしちゃいけない。
そうして出来たプログラムに、実際に計算したい値を入力すれば、答えが出てくる。


個別的な実装にばかり通じても、良いプログラムを書けるわけじゃない。
美しく実装された関数を醜く繋ぎ合わせるよりも、美しい設計を醜いコードで実装する方がマシだと思う。
設計が正しい限り、各実装をちくちく修正すればプログラムは徐々に美しくなる。
でも設計が間違ってると、設計を改める度に前の(美しい)コードは使えなくなってしまうから結局1から書き直す羽目になりかねないし、しかもその新しいバージョンが前よりも優れている保障も無い。
ちゅうわけで、設計力大事。


昔は法律とプログラムは似てるんじゃないかと思ってたけど、今は似てないと思っている。
法律に似てるのはプログラムではなくプログラミング言語で、ユーザーがそれを駆使して自己実現を図る、と、これが今の私が持つ印象。*1
だから答案書きとプログラミングは、ツールを使って実際の問題に当たるという点で似てるのかなぁみたいな。


というわけで、二胡が届くのは6/30らしいです。わくわく。


あとベガルタ勝利ですわ。

*1:してみるとプログラムに似てるのは契約書かもしれない。