パイレーツオブカリビアン」に対抗して「配列 of Endian」というのはどうだろうか。
ここは「そんなの当たり前でしょ?」なんて言*1わずに置いてけぼりを食らわすのが信条の日記。っていうかEndianって何?
暖かくなったと思って上の服装を半長半の組み合わせにしたら、今日は風強いし寒いしで、帰って半長長に着替え直した。


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東急ハンズに行ったら「ボルタ」なるボルト人形があって、これは素晴らしい。欲しい。
室蘭グッズで、内地では売ってない物のようだ。*2
『初犬2』なんか買ってる暇があったらこっちを買った方がよっぽどオサレですぜ旦那。
ところで『初犬2』はメロブでは本の表紙の「着せ替えカバー」が貰えるという豪華得点があるらしい。折り目を付ける時にちょっと気をつけなきゃいけないかもね。中身は全てSKoWシリーズなんだから書名もSKoWにしてしまえば良いのではないかと思うんだけども大人の事情でそうならなかったらしい。三田萌え。


HARIBOグミが美味しいってのっちが言ってた*3。ので、今度売ってる場所を探す。


部分的犯罪共同説と柔らかい行為共同説について。先日の表は誤解だった気がする。
とりあえず2007-05-25 23:16GMT+9:00時点での理解を適当に表にしてみる。

部分的犯罪共同説柔らかい行為共同説誤解版行為共同説
XYXYXY
暴行・脅迫
強姦××
強盗××

  • ◯=(単独)正犯
  • ●=共同正犯

間違ってたら突っ込みヨロ。
昨日の誤解版だと強姦or強盗しかしてないのに強盗強姦の罪を負うことになって重すぎるから凄く変な気がしてたけど、シケタイの記述を見てもやっぱりそういう説ではないんだろうなぁという気がしたから。
たぶん両説は刑罰的には殆ど一緒なんだけど、ただ共同していない部分について単独正犯とするか共同正犯にするかということなんじゃないか、と、そんなイメージ。
たぶんこの辺の共犯論で一番大事なのは、暴行・脅迫が共同正犯となることなんじゃないかと考える。
例えばXが暴行・脅迫を共同していないと評価されてしまうと、強姦ではなく単に準強姦が成立するにとどまる*4ことになってしまってたわけで、それは変だよねってことで、Xが実際に暴行・脅迫をしてなくても正犯性を認めるということなんじゃないかとか。
例えばYが(略)強盗ではなく単に窃盗が(略)。


http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/K2007052403730.html
供述調書のあの体裁ってのは、録音等の技術がなかった時代に伝聞法則を貫徹するために編み出された手法なんだろうと思うわけで、録画映像が使えるのならそっちの方が証拠としてはより優れてる気がする。
明治人の目からは魔法に見えるんじゃなかろうか。


okelaの昨晩のコードについて、私ならちょっと違う書き方をするかもしれない。
okelaは引数に関数を受け取ってるんだけど、これだと何も処理をしない場合にもわざわざ何もしない関数を作って渡さなきゃいけないから煩雑な気がする。
Pythonのようにデフォルト引数があるならデフォで何もしない関数を指定しておけば良いけど、JavaScriptではそうもいかない。引数省略時にhogehoge、というのも、「前の引数は省略したいが後ろの引数は省略したくない」という場合には上手くいかないし。あ、nullを渡せばいいのか?


でまぁ、私ならどうするかなんだけど、HiraKanTransformerというオブジェクトを作って、 HiraKanTransformer.hiraFunc , HiraKanTransformer.anotherFunc に関数を持たせておく。
変換処理は HiraKanTransformer.transform(string) を呼び出して、その内部で上記の hiraFunc, anotherFunc を呼び出す。
hiraFunc, anotherFunc には最初は「何もしない関数」が入ってるんだけど、違う処理をしたい場合にはその処理関数を代入して上書きする。
Javaでサブクラスでオーバーライドするのと似てると言えるかもしれない。
okelaの手法に比べた欠点としては、予め新関数をセットしとかなきゃダメって点があるけど、再利用性するならこっちの方が便利じゃないかなぁ。


私のはオブジェクト指向に親和的なアプローチ、okelaのは添え物っぽいアプローチと言えるかもしれない。
まぁJavaScriptなんてHTMLの添え物と言えなくもないけど。