原因において自由な恋

CASE: Xは彼氏にナイショで合コンに参加したところYに一目惚れし、浮気をした。

一目惚れの後の行為はコントロールできないものであるから、同時存在原則に従えば、本来ならばXには浮気の責任がなく不可罰である。
しかしそもそも彼氏がいるのに合コンに行くことがケシカランというわけで、浮気行為の責任を合コン参加の決定時に求める説がある。
このような場合の根拠としては下のものが考えられる。

  • 遡及モデル:原因行為時に責任があれば浮気行為時には責任を不要とする。この説は同時存在原則の例外を認める説であり、判例はこの立場に立つ。
  • 構成要件モデル:合コン参加の決定を、浮気の実行行為と見る。学説では多数説とされる。

遡及モデルの問題としては、なぜこのような例外が認められるのかの説明がないことが挙げられよう。結論ありきの議論とさえ言いうる。
構成要件モデルに従うならば、合コン参加自体が果たして浮気の実行行為と言いうるかの問題となる。
そしてこのように評価しうるかは、合コン参加を決定した時点で浮気の故意があったかどうかによって判断しなければならない。合コン参加決定時のXの浮気の予見・認識としては色々な程度があり得る。

  1. 初めから浮気するつもりだった場合
  2. 素敵な出会いがあれば浮気をするかもしれないと思っていた場合
  3. どうせろくな男はいないだろうと思っていた場合
  4. 全く浮気する気がなかった場合 (友達付き合いで仕方なく参加した場合等)

1,2は故意が肯定しうるだろう。他方3,4については故意は否定されよう。とはいえ実際には2と3の区別はそう容易ではないことが予想される。


関連URL:2ちゃんねるレスブック:「俺・・・疲れてるな・・・」と思う時


上の議論の前提として、そもそも「恋愛感情はコントロールできない(人は恋愛感情に拘束される)」と考えてる節があるかもしれない。
「地球での自由恋愛というやつは、言葉で言うほど自由ではないのでな。」


ところで話は全然変わるんだけど、常様による規制目的二分論の説明は独特だなぁというか、そもそも常様は、司法審査と民主主義をめっさ重視してるなぁという感じ。
今日の話にしても、結局、利害関係が傍目に明らかな積極目的規制では民主主義のプロセスが期待できるから裁判所は審査に消極的であるべきことに対し、利害関係が曖昧な消極目的規制では民主主義プロセスの有効性に疑問があるから裁判所が積極審査を行いうる、ということだよね。
なるほど、とは思うけど、反民主主義者である私からするとちょっと批判したい意見。民主主義なんて所詮多数派のための制度であって、もはや政府転覆しかなぁい!のだから、民主的プロセスにかかっていても尚がっつり違憲審査をしないと少数者に不利益が課されるんじゃないかと。


そういえば「政府転覆しかなぁい!」についてだけど。
革命権を肯定する学説にしても、それはあくまで「多数派による革命」を想定してるんだよなぁって感じ。
君主や貴族に主権が専有されていた時代には、多数派へと主権を委譲する民主主義理念はより自己統治的な理念だったにせよ、結局、本当の意味では主権を行使できない者が残ってるあたりは不完全だよねってのはそんな目新しい意見じゃないわけだけども、この辺、昔の民主主義者(JSミルとか)は「理があれば少数者の意見もやがて多数を獲得する」などという楽観主義的であったけれど、実際には人間はそういう理性的な存在ではなかったわけで、それじゃ民主主義に変わる新しい制度とは何かと問われれば、それは多数決原理ではなく真理に基づく制度であるべきであり、真理は神によって定められ、神の定めた制度を知りうるのは法王であるから、法王によって主権を独占するべき…って、なんか議論が一周しちゃった。
要するに、理想の国が作りたかったらシムシティでもやってなさいってことか。


iTunes Storeの著作権使用料不払い報道は「誤報」、JASRACがコメント
誤報したのは朝日新聞様なんですけど、誤報が明らかになったことを受けて当該記事をWebからは削除しやがってますかそうですか。
そういうときは「誤報でした」って記事に書くのが筋だろうに。
明日の朝刊が楽しみだ。いやマジで。