おりひめ☆募集中
ただし願いが織姫に届くのは25年後*1。
というわけで、タイトルについてはこのへんを参照のこと。
なほ今年の仙台七夕は8/6〜8/8。
某曰く現状有姿でググれ
。ググった。
現状有姿
不動産取引において、引き渡しまでの間にその物件の状況に変化があっても、売り主は引き渡し時点の状況のまま、買い主に引き渡すという意味で、売買契約書などに用いられることが多い。ただ、現状有姿とした取引であっても、売り主が瑕疵担保責任責を免れることにはならない。
『http://myhome.nifty.com/kiso/words/ka032.jsp』より、強調引用者
もっと詳しく→Q&A よくあるご質問 | 弁護士法人 淀屋橋・山上合同(法律事務所)
http://www.heiwaboke.com/2007/07/2ch_3.html
こういうスレで顕われる「2chは玉石混淆」という意識が気持ち悪いから2chは嫌い。
「玉なんか無い*2。俺たちみんな無職童貞ひきこもり」という世界の何と気持ちよいことか。
見出し要素に関する議論 - 徒委記
要するに、h1要素にサイト名を書くことがセマンティックWebとして美しいかどうかといった、ありがちな自転車置場の議論。
しかし圧倒的大多数のサイト制作者は人間が目で見ることを想定してサイトを作っており、そこでタグの「意味」を気にすることが重要視されるようになったのは、基本的にクローラーに効率的に情報を与えるためである。*3 *4
そしてGoogleのクローラーがh1よりもh2を重視している以上、h2にこそ記事のタイトルを書かなければならず、逆にh1にはメタ情報を書くのは実用的だ。
といったありがちな自転車置場の学説はさておき。
同じく自転車置場に関する学説ではあるんだけども、どうもこれを言ってる人をまだ見かけないんだけど、そもそもHTMLにおいてtitleがheadの小要素なのが悪いんじゃないのかと。
そしてこの設計にはTeXからの影響があるんじゃないかというあたり。
まずさぁ、headの子のtitle。これが文書のタイトルでありサイト名だったりするわけよ。
なのにこれってブラウザの上端、コンテンツとはURL入力欄とかで隔てられた位置に、システム標準のフォントサイズで、つまり小さく表示されているに過ぎない。影薄い。
なので結構多くのページで、titleと概ね同一の内容をh1でも書き直している。そうしないと文書のタイトルとかサイト名が、目に見えないからね。あ、ここで言う目に見えないってのは文学表現ね。目立たないって意味。
じゃこうやってサイト名をbody内で再定義することが悪いかって言ったら、悪くないと思うのさ。だって重要な情報が目立たないなんてのはおかしいわけで、目立たせるのは良い事じゃん。
だからさ、本当はbodyにも(「見出し」ではなく)タイトルを表示させることができれば良かったわけよ。
文書のタイトルがメタ情報だと思ったからこそheadの子にしたんだろうけどね。
そんでまぁ、TeXとの関係なんだけどさ。
多分、設計者はh1は\sectionのつもりだったと思うんだよ。以下H2〜H5は\subsection, \subsubsection, \paragraph, \subparagraphみたいな感じ。
TeXではtitleは\titleとして、\maketitleの前に、つまりメタ情報な気分でおいてある。
なんだけど、TeXってのは最終的に紙に出力するのが前提で、そして紙に出力したときに、メタ情報がとっても目立つように印刷されるわけ。だからtitleがメタな位置で良かった。
でもWebブラウザではメタ情報が表示されなかった。されても本文より目立たなかった。
だから本文で何とかしなきゃいけなくなって、そこでh1にtitleとほぼ同様の内容を書くようになったんじゃないかと。
で、この辺の考えは思いつきで適当に書いているので何も検証とかしてないけど、自転車置場の議論にはこの程度が相応しいかなぁみたいな。
そんなことより、試しに基礎ゼミの答案を書いてみたら2409字だった。丁度いいじゃん。直すの面倒いからこのまま出してしまおうか?
そうか、ハルヒの第2期広告は、今日が七夕だからか!