ブラックジャックでDr.キリコの出るエピソードだけ集めた単行本ってないんだろうか。
コンビニのあの厚紙表紙のやつであったりしないかなぁ。

お年寄りの体力が、この10年ほど向上を続けている。体育の日に合わせて文部科学省が10日に公表した「体力・運動能力調査」でそんな結果が出た。健康ブームで60代以上で定期的に運動する人が増えているのが要因とみている。

アピタル(医療・健康・介護):朝日新聞デジタル

子どもの走る・投げるといった運動能力が向上に転じる兆しを見せていることが、文部科学省が体育の日に合わせて10日に公表した「体力・運動能力調査」でわかった。ピーク時の1980年代半ばから低下していたが、ここ数年は下げ止まる傾向にあり、一部で回復してきている。

asahi.com(朝日新聞社):子どもの運動能力、向上の兆し 校内の取り組み効果? - 小中学校ニュース - 教育

「お年寄り」じゃなくて「老人」「高齢者」にするか、「子ども」じゃなくて「お子様」にするか、統一しとけと思う。
老人と表記すると老人が怒るからかな。子供が怒っても無視すればいいというわけだ。
ちなみに別な記事では「子供」と表記してた。珍しい。

  1. 肝硬変であると診断された患者に対し,医療行為において医師の裁量を尊重する必要があること及び肝癌診療ガイドラインが絶対的な基準ではないことを考慮してもなお肝癌発見を目的として6か月間隔で腫瘍マーカー及び超音波検査を実施し,腫瘍マーカーの上昇や結節性病変が疑われた場合には造影CT検査等を実施すべき義務があったにもかかわらずこれを怠ったとして,医師の過失を認定したが,肝細胞癌が急速に進行した可能性を否定することができないことから,死亡との因果関係が否定された事例。
  2. 臨床水準に則った適切な診療を受ける期待は,生命身体や当該時点で生存していた相当程度の可能性とは別個の,それ自体独立した法益であると解されることから,上記期待権侵害に対する慰謝料請求を認容した事例。

仙台地判平成22年6月30日

今月号の日経メディカルで紹介されてた判例
医療上の過失による死亡の主張は排斥しつつ、相当な検査を行わなかったことについて「期待権」侵害として不法行為責任を認めた。
期待される治療行為を行わなかったという構成だから、本質的には債務不履行責任だと思うんだけど、遅延損害金の起算点とかの都合で不法行為責任による追求が流行ってるんだっけか。

契約上の債務者は契約によって成すべきことを義務付けられるところ,当該契約の性質がいわゆる手段債務である場合には,債務者は当該契約の本旨にしたがって合理的な行動をとることを契約当事者間で義務付けられると同時に,社会的にも上記のような合理的行動を取ることが期待される。そうであれば,手段債務における債務不履行と競合する不法行為上の過失は,当該手段債務の内容及び趣旨に照らして合理的な行動であるか否かという観点から検討されるべきである。
そして,医療契約の本質は準委任契約であり,結果の実現を保証するものではなく,治療にあたって最善を尽くすという意味での手段債務であると解されることに照らせば,医療機関は,当該診療行為が実施された当時の医療水準,病院の性質及び地域の特性に照らし,社会通念上期待される合理的行動から逸脱したと評価される場合に不法行為上の過失責任を負うと解するのが相当である。
しかるに,医療機関の診療行為は,限られた診療時間や情報を前提として患者の疾病に対して考えられるいくつかの選択肢の中から最良と思われる治療行為を選択し,仮にその最良と思われた選択が結果的に正しくなかった場合には,その仮説を離れ,再度,最良と思われる治療行為を選択し直すという性質を有するものである。すなわち,最良と思われる治療行為を選択したにもかかわらず,結果的には期待した結果にならなかったり,合併症を生じるような場合もありうるのであって,そのような場合には,その反省を活かして技術及び治療成績の向上に努めることが将来の医療の進歩につながるという側面も否定しがたい。
そうであれば,人の生命及び身体にかかわる医療機関には最善の注意義務が課されることは疑いを容れないところであるが,他方,医療機関が直面する個別具体的な状況において当該診療行為を選択したことが合理性を有していたのであれば,その裁量は十分に尊重する必要があるといわなければならない。
判決理由第3の3(1)

判決はまず、不法行為責任における過失判断を債務不履行に引きつけて判断できるように言った上で、医療行為の適切性をいかに判断するかの大綱を示す。
医療行為が結果債務ではなく手段債務であることからすれば、何をしたかが(結果よりも)重要なことになる。とはいえ上記の一般論は医者側の裁量に大いに配慮した内容と言えると思う。
そんで、死亡という結果との関係については因果関係を否定した上で、予備的請求である期待権侵害についての話がこんな感じ。

患者一般の意思として可能な限り救命可能性が高い治療方法を採用してほしいと願うのは至極当然のことであり,しかも生命身体という人間にとって最も基本的かつ重要な利益に関わるものであることからすれば,このような期待は社会一般にも承認されるものであると考えられる。したがって,臨床水準に則った適切な診療を受ける期待は,生命・身体や当該時点で生存していた相当程度の可能性とは別個のそれ自体独立した法益であると解するのが相当である。
もっとも 上記3(1)で説示したところの医療行為の性質に照らせば 事後的,な観点のみから,より適切な診療を受けることが可能であったというだけで不法行為上の過失ないし違法性を認めることは相当でないから,不法行為が成立する場合は,当該診療時点において,専門家である医師に対し,社会的に期待される合理的行動から逸脱した場合に限られるというべきである。
また,一見すると適切な治療と思われないような場合であっても,患者がその治療について真に納得していたのであれば,その自己決定は尊重されるべきであるから,原則として上記の期待を侵害したことに対する過失ないし違法性を認めるべきではない。
判決理由第3の5

というわけで、「適切な診療を受ける権利」とでもいうべきものを、身体・生命とは独立の利益として保護するとしてみた。債務不履行責任でも損害の発生が要件となるから問題状況は変わらない。
なんだけど、この臨床水準に則った適切な診療を受ける期待それ自体は本当に独自の法益として扱うべきなのだろうか。そこが、けっこう悩ましい。
このロジックによれば治療行為の結果とは全く関係なく責任が発生するから(手段債務なのだからそれで良いとも思えるが)、「不適切な診療」が行われたが全快した、という場合にも損害賠償請求が可能となる。
そもそも適切な診療を行うのはまさに債務の内容そのものなのだから、それに対して「期待権」を認めるというのは、結局は債務不履行それ自体が損害であると見ていることにならないか。つまり、債務不履行責任における損害発生要件の空洞化ではないか。
というわけで、なかなか微妙な気がしないでもない。


あと細かい点かもしれないけど。医療過誤に基づく請求が主位的請求、期待権侵害が予備的請求とされてた。
非侵害法益が前者は生命身体で後者は期待権という違いはある。
他方、不法行為による損害賠償請求においては、損害の費目ごとには別個の訴訟物を構成しない。
判決の構成だと、同じ医療過誤によって生命と期待権を侵害されたとして両者の賠償を求めることが出来るような気がするし、その場合は両者の関係は単なる費目の違いのような気がしないでもない。どうなんだろ。